コラム

変身


カフカの小説に「変身」という作品がある。コロナ過でまた読み直されているカミューの「ペスト」という作品と並んで、不条理が個人又は集団を襲うストーリーだ。ある朝起きると主人公が毒虫になっていたという事からストーリーは始まる。ある朝突然にすべてが変わってしまうというのは小説としては面白いのだが、ダーウィンの「種の起源」にはこのような記載がある。「自然には飛躍がない」つまり、「変化は小刻みに起こる」のだ。長い年月を経て生物は大きく変化するのだが、その変化は突然に起こるのではなく、長い時間をかけて少しずつ変化した結果であるというのだ。

企業を経営する時に経営者はともすれば早い変化、結果を求める。しかし、それは一見よいように見えても、人間の理に合っていないとうまくいかないことが多い。またうまくいったように見えても、実は時間が経つと元の木阿弥に戻ってしまう。それは人は急に変われないからである。目標とする形にまでもっていくためには、その間にいくつもの小さな変化をかませないといけないのだ。いわゆる名経営者という人は、小さな変化を多く起こしている人なのだ。時間をかけた飛躍のない経営というものが後で飛躍的な変化をもたらすのだ。

飛躍がないというのは、成長がない、変わらないということではない。確実に少しずつ企業風土を変えていくことである。その変化が企業の永続を保証していくのだ。企業の組織論もいろんな理論がタケノコの様に生まれてくる。その中から実態にあったものが選ばれていくのだ。

皆時代に合わせて自分自身を変えていきたいと考えていると思うが、その変身の鍵は、意外なところに存在する。「天は、二物を与えず」ということわざがある。「天の神様は一人の人間にいくつもの美点を与えることはないので、良いところばかりの完璧な人間は存在しない」という意味だが、逆に考えてみると、天は誰にでも一物は与えているわけだ。つまり、この世の人はすべて天から与えられた自分の一物を磨いていくことにより、他の人から見ると素晴らしい人、または企業だと思われるようになるのだ。

自分又は企業の長所とどう向き合い、伸ばしていくか。飛躍のない確実な思想と戦略が必要とされる。短期間で得られたものは、短期間で失われ、長い間を経て得られたものは、自分たちの血肉となって永続する。どう変身するかには哲学が必要だ。

渕上コラム「変える言葉」